近年、家族や安定した雇用、地域社会といったこれまで私たちの暮らしと社会を媒介していた中間集団の機能が弱まり、社会が個人化することによって、多様で複合的な生活困難が顕在化している。一方、問題に応じて専門制度や組織を設けることを暗黙裏に是としてきた日本では、狭間を埋めるはずの社会福祉やソーシャルワークも属性別に組織化され、分野を越える問題への対処方法を見いだし得ていない。定型化することが難しい生活困難に対しては、分野を越えた対応が必要になるが、それは現在の属性別に組織化された日本の社会福祉制度の体系では、対応困難な「厄介な問題」(wicked issue, problem)として認識される。
こうした問題に対応するために、2017年の社会福祉法改正では、市町村が主体となって、対象者別に構築されてきた制度を包括化し、自発的な社会福祉(地域福祉実践)とも協働しながら支援の体制を一体的に整備していく、「包括的な支援体制」を構築していくことが法制化された。しかしながら、こうした体制の構築は、制度ごとに分掌された業務の中で制度運営を行ってきた市町村社会福祉行政に大きな変容を迫る「応用問題」であり、それを紐解いていく理論的な枠組みと具体的な方法を明らかにしていくことが必要になっている。
以上のような背景を踏まえ、市町村福祉行政が中心となって、地域の諸実践と協働しながら、縦割りに制度化された国の政策を地域の実状に応じて加工して推進する「包括的な支援体制のガバナンス」のプロセスを分析することを通じて、市町村福祉行政が包括的な支援体制を構築していく道筋を明らかにすることを本研究の目的として設定した。
まず、本研究では、包括的な支援体制が、「制度福祉間の協働」と「制度福祉と地域福祉の協働」という「二つの協働」から構成される体制であると規定した。制度福祉間の協働とは、制度福祉を所管する行政内の部局間の協働(庁内の協働)と実際に相談支援や福祉サービスを提供する機関同士の協働(多機関協働)のことであり、制度福祉と地域福祉の協働は、社会福祉制度(制度福祉)と自発的社会福祉(地域福祉)の協働のことをいう。
次に、先行研究を踏まえ、市町村福祉行政の多様な選択や段階を考慮に入れた上で、二つの協働を進め、その一体的な体制整備を担う行政担当課とその職員(「人」)が、様々な話し合いの「場」を使いながら、制度福祉を相互浸透させ、自発的な社会福祉(地域福祉実践)とも協働して、必要な「プログラム」(事業)や協働の役割分担、ルール(「制度」)を作り出していくプロセスを分析対象とすることを述べた。
そして、こうしたプロセスを捉える分析枠組みとして、@開始時の状況、A運営制度の設計、Bファシリテーション的リーダーシップ、C協働のプロセスという4つの変数からならる「協働型ガバナンス」モデルを援用した「包括的な支援体制の分析枠組み」を提示した。
研究方法は、前述の分析枠組みに基づいた政策分析と事例研究である。
まず、政策分析では、2000年以降の国に設置された審議会、検討会、研究会等の内容を概観し、二つの協働という観点から、包括的な支援体制の法制化に至る地域福祉推進政策を分析した。2000年以降の地域福祉の推進が「未完のプロジェクト」であり、包括的な支援体制の構築を進めることが、地域福祉の政策化の課題であることを明らかにした。
次に、本研究の分析枠組みに基づいて事例研究を行った。調査対象地域として、石川県河北郡津幡町、三重県名張市、福井県坂井市、滋賀県高島市、愛知県豊田市の5つの自治体を選定した。分析の単位を包括的な支援体制の構築を担う行政担当課とし、調査は、体制構築プロセスで中心的な役割を果たしてきたと考えられる職員へのインタビューと当該地域の多様な協議の場における参与観察から構成した。事例研究のリサーチクエスチョンとして、分析枠組みに基づき、@市町村福祉行政が、包括的な支援体制を整備するために、前提となる条件に基づいて、どのような場を活用しながら二つの協働における「協働のプロセス」を推進しているのか、また、Aこうしたプロセスにおける市町村担当課及び担当者の役割は何か、そしてBこうしたプロセスを通じて、市町村福祉行政はどのような体制に合意しているのか、を設定した。
研究の結果、「制度福祉間の協働」と「制度福祉と地域福祉の協働」という二つの協働を促進し、それらを統合して体制として整備していくための市町村福祉行政の役割を以下のように整理した。
まず、制度福祉間の協働のプロセスは、庁内での協働の場から庁外の関係者を巻き込んだ場へと次第に拡大する協働のプロセスであり、活用する場や協議の広がりとその成果に違いがあるものの、担当課以外のコミットメントを高め、庁内・庁外の関係者の主体的な関与を強めていくことが必要だと指摘した。
次に、制度福祉と地域福祉の協働については、地域社会の様々な主体のコミットメントを高めるために、住民がいる場所で協働のプロセスを展開することが不可欠であること、一方で協働のプロセスに参画する主体が限定されている状況にあることが示唆された。
そして、二つの協働をどのように統合していけばよいかを検討した。協働のプロセスが次の協働のプロセスを生み出し、その累積が包括的な支援体制を構成していること、協働の累積は、地域の様々なところで起こっており、包括的な支援体制のガバナンスにおいてはそれを発見し、つなぎ合わせ、体制として系統的に構成する必要があると指摘した。
さらに、包括的な支援体制のガバナンスを担う行政職員には、これまでの業務分掌の枠を越境し、庁内外の多様な人や機関と協議する場をつくり、その中で合意形成を図る能力が求められると同時に、こうした複数の協働のプロセスを重ね合わせながら、一つの体制としてデザインしていくことが求められることを指摘した。本研究ではこうした役割をバウンダリースパニングとし、それを担う人を境界連結者(バウンダリースパナー)として位置づけた。
本研究は、社会の個人化に伴って顕在化した新たな生活困難への対応という課題に対して、制度福祉間の協働と制度福祉と地域福祉の協働(二つの協働)によって対応していく包括的な支援体制をどのように構築していけばよいか、包括的な支援体制のガバナンスという視点から検討した。また、包括的な支援体制のガバナンスを、実践を担う多様な主体との協働(二つの協働)を通じて、国が進めようとしている施策を加工し、カスタマイズしていく領域として設定し、その多様な協働のプロセスのかじ取りを担う市町村福祉行政に求められる役割を明らかにしてきた。この領域(メゾ領域)はマクロの政策とミクロの実践をつなぐ領域であるが、それは法律による社会福祉の「運営」だけでも、自発的社会福祉の集積だけでもない、ダイナミックな協働の舞台であり、それを推進していくプロセスをガバナンスとして捉え、市町村福祉行政が推進していく必要があることを提起した。こうしたプロセスを経てできあがった一応の完成図は、その地域における協働の累積やそれをどのように組み込んだかによって地域ごとに多様であり、協働のプロセスを継続させながら更新が重ねられていく必要がある。
本書の主要な部分は、2020年の夏、すなわち新型コロナウィルス感染症拡大のまっただ中に執筆した。多くの関係者は、まさに緊急的に対応しなければならない課題に追われ、長期的な視点で体制構築を考える余裕などなくしていた。しかし、感染症の拡大は、社会的つながりが弱い人の課題をいっそう際立たせ、この災害がもたらした近未来に対応する体制の必要性を今こそ論じなければならないと考えて本書を執筆してきた。もちろん、この課題に明確な道筋を示すことができたわけではない。本書では「未完のプロジェクト」と表現したが、今後も実践の現場で一緒に考えてきた仲間とこのプロジェクトを前に進める方策を探っていきたいと思う。最後になりましたが、本書を精読してくださった審査委員の先生方、本研究をともに作ってくださった5つの自治体の関係者の皆様、そして、これまで私の研究を導いてくださった多くの先生方にこの場を借りて感謝を申し上げます。