【研究目的と理論的背景】
本研究は、ソーシャルワークの理論的・実践的基盤をなす「価値」と「原理」の論理構造に関する研究である。
従来のソーシャルワークの「価値」についての議論は、「自己決定」という「原理」によって具象化される「判断し、決定しうる」近代的個人のあり方を是とし、人々がそのような個人となることを「援助」することによって、その「尊厳」を担保するという、近代市民社会が要請する個人のあり方を前提としてきた。しかし多様な個人の存在のあり方が議論される現代社会にあっては、判断能力に重い障害を持つ人々や意志表出が困難な状態にある人など、クライエントが自己決定することに依拠するだけでは解決しない問題に、ソーシャルワークは直面せざるを得ない。そして、このような個人に対して、自己決定という既存の論理構造にのみ依拠した実践を展開するだけでは、ソーシャルワークそのものが結果的にこのような個人を社会から疎外・排除し、「個人の尊厳」を逆説的に貶めてしまうという、構造的なジレンマが顕在化する。そこで本研究では、自己決定に依拠した既存のソーシャルワークの「価値」と「原理」の論理構造を批判的に検討しつつ、自己決定の抱える問題点を超える「価値」の論理構造を、社会哲学による「間主観性」を基本とした「共同性の価値」として仮設的に構築し、その上で葛藤に満ちた実践がどのような「原理」に依拠しているのか、またその「原理」はいかなる「価値」に基づいているのか、を実証的に論証することを通して、ソーシャルワークが真に「すべての人々の尊厳の尊重」を具象化するための理論的・実践的基盤を形成する「新たな価値と原理の論理構造の構築」を研究課題とした。
【構成内容】
第一章においては、主として日本が依拠してきたアメリカ・イギリスにおけるソーシャルワークの「価値」と「原理」の議論をレビューし、それを近代哲学における啓蒙思想との関連において整理し、求められる個人の基盤にある「価値」の論理構造について分析した。その上で、現代ソーシャルワークが前提としている「近代的個人像への無批判な固着」が、逆説的にソーシャルワークを「排除と疎外の再生産装置」として機能せしめる危険性を持つ、という点を指摘し、こうした構造的問題を乗り越え、ソーシャルワークが社会的実践としての存在意義を獲得するためには、従来の近代的個人像を前提とする論理を超えうる、ソーシャルワークの新たな「価値」と「原理」の論理構造を構築する必要があることを提起し、研究設問の設定を行った。
この研究設問に基づいて、第二章では改めて「新たな近代社会の可能性」を取り扱うさまざまな社会哲学の知見を援用しながら、「自己決定できない」個人の存在を肯定する論拠を、主として竹内章郎(1993,1999等)の「能力の共同性」の論理に依拠して論究し、仮設の構築を行った。
竹内の所論は、近代資本主義経済的な意味での「自己決定=生産」できる個人だけに価値をおくのではなく、「決定できない」個人をもが発している豊かな「生の意味」のあり方に注目するものである。すなわち自己決定できない個人であっても、彼らをさまざまな「意味の生成」に拓かれた可能性をもつ存在として理解し、諸個人のもつ「能力」をより広義に「私たちの生を豊かにする意味の生成過程」と捉えることにより、多様な存在が多様に関わることで、そこから「多様な生の意味が交叉する豊饒な意味的社会」へと近代社会を止揚することを構想するのである。そこで、この自己決定できる個人に価値を置く、という論理を乗り越える「共同性の価値」論を、自己決定に軸芯を置く従来のソーシャルワークの構造的限界を超えうる「価値の論理」として仮設的に構築した上で、それを論証するためのソーシャルワーク実践の実証的な研究を通して、研究設問に答えるソーシャルワークの新たな「価値」と「原理」の論証を試みることとした。
このような関心に基づいて、第三章では実証研究の方法論について検討した。本研究の関心と戦略からいえば、実証研究の方法は葛藤する実践に可能な限り密着しながら、その行為を規定している「原理」の「意味」を抽出する質的研究方法が望ましい。また、質的研究は単に仮設生成型の研究のみならず、仮説検証型の研究においても有効であるという佐藤(2008)の所論を援用しながら、自己決定に依拠できないソーシャルワークの「葛藤する実践」に内在する「原理」を分析し、その「原理」の基盤をなす「価値」を論究する、という研究設問に則って、多様な実証研究の方法論の中から、Flick. U.(=2002)が提唱する「構造主義的アプローチ」を採用し、ソーシャルワーカーの「語り」の分析により、その「原理」を析出することを試みることとした。
こうした研究方法論の整理に基づいて、第四章では実証研究のデータとその分析の結果について述べた。そうして析出されたソーシャルワーク実践の「原理」とは、「相互に肯定する関係性構築の原理」である。クライエントの「自己決定」に依拠できない状況におかれたソーシャルワーカーは、クライエントを承認し、肯定する「他者」との関係性を「媒介」することにより、問題解決を図ろうとする。すなわち「相互に肯定する関係性構築の原理」とは、自己決定できない個人を受容・肯定しようとする社会的諸関係を媒介し、もってその個人の社会的承認を獲得してゆくという「開拓的な社会関係の実践」としてのソーシャルワークの営みを意味している。
そしてさらに重要なのは、この実践の「原理」の基盤にある「価値」の在処への論究を行うことによって、ここまで仮設的に構築されてきた「共同性の価値」論を論証することが可能になる、という点である。なんとなれば、その存在を承認するような「関係性の媒介」をもって、自己決定できない個人にも「尊厳」を保障しようとするソーシャルワークには、既存の意味での「主体」とはなり得ない諸個人を、それぞれが「能力」を発揮しながらさまざまに「他者」と関わることによって「新たな生の意味の生成」に拓かれた存在として理解する、という「間主観的共同性」の論理を前提とすることによって、近代社会の持つ新たな可能性を発露せしめる、まさに「社会的な実践」として登場する論理的必然性が、ようやく担保されることになるからである。
このように、実証研究からの論理的展開によって、新たなソーシャルワークの「価値」と「原理」の論理構造を提示した上で、第五章ではソーシャルワークが具象化しようとする社会のあり方を、「多様な存在のあり方を許容する、真の意味での豊饒な社会」に求めた上で、岡村重夫によるソーシャルワークの主体性論を弁証法的に止揚することによって、「媒介」と「合意形成」を主要な機能とする、「多様な生の意味の社会的再分配装置」としてのソーシャルワークの具体的なあり方を提示した。個人のもつ可能性の発露に拓かれるような「対話的行為」を通して、多様な「意味」を開拓しつつそれを社会の中に再分配し、もって「決定できない個人」の存在をも承認しうるダイナミックな諸条件を社会の中に現出させることによって、真に「近代社会」を豊饒な存在へと止揚せしめる社会的行為として招請されるのが、ソーシャルワークという実践である、という本研究の論究結果について述べている。
そして第六章では、第五章までにいたる「価値」と「原理」、そして「行為」の研究結果の妥当性を検討するために、筆者が実践にかかわった大阪府社会福祉協議会による「社会貢献事業」と、大分県中津市社会福祉協議会による「過疎地域における地域づくりプロジェクト」の二つのエスノグラフィーを取り上げ、その実践のもつ「意味」を分析することを通じて、本研究で提示したソーシャルワークの具体的なあり方についての検証と、論理的な妥当性について述べた。そして、これらの豊かな意味を「媒介」し、多様な存在が相互に肯定し認め合う「合意形成」を「社会」のなかで実現してゆくことによって、存在の多様な「価値」を創造・承認し、もって、ある望ましい存在以外を疎外し、排除するという近代的な修辞の限界を超えた、私たちの「生」を豊饒化するソーシャルワーク固有の「価値」と「原理」に基づいた行為が、単に机上の論理だけではなく、まさに社会的な「実践」として存在する、という研究結果について述べた。
そして終章では、本研究の結果が既存のソーシャルワークの理論的・実践的な体系に対して、どのような「意味」をもつのかを考察した。ここまでの研究によって、「共同性の価値」と「相互に肯定する関係性構築の原理」に基づいた、ソーシャルワークの新たな「価値」と「原理」の論理構造を構築できたこと、そしてそのことによって、ソーシャルワークが「社会的な実践」として招請される、その固有性と必然性を担保できる論理をようやく獲得できたこと、という本研究のプロダクトについて述べた。そして本研究の結論として、ここまで提示されてきた研究結果はソーシャルワークの理論的・実践的基盤をなす「価値」と「原理」についての既存の論理構造を凌駕するものであり、ソーシャルワークの「理論」と「実践」を新たな次元に引き上げるものであるという点について述べた。
その上で、ひとつひとつのソーシャルワーク実践がどのような「豊かな意味」を育んでいるのか、それを「科学」することにより社会全体の豊饒化をはかってゆく「実践の科学化」を継続して行う必要性を、新たなソーシャルワーク研究の方向性として提示することをもって、本研究の結語とした。
【まとめと今後の課題】
このような関心に基づいた論究の結果、「間主観性に基づく共同性の価値」と、それを具象化する「相互に肯定する関係性構築の原理」という、ソーシャルワークの「価値」と「原理」の新たな論理構造が構築された。その上で、このような「価値」と「原理」に則ったソーシャルワーク実践が具象化しようとする社会を「存在の多様な形式を許容する、豊饒な意味的社会」とし、「意味の社会的再分配装置」としての「媒介」と「合意形成」を主要な機能とする、ソーシャルワークの具体的な役割を提示した。この研究結果によって、ソーシャルワークが「社会的な実践」として招請される、その固有性と独自性を担保できる論理を新たに獲得できたと考える。従って本研究は、既存のソーシャルワークの理論的・実践的基盤を、弁証法的に止揚しうるものであると考える。
そのうえで、本研究において提示した理論的フレームワークを、実践において応用可能な「実践論」にまで昇華しなければならない。その意味において、本書でも示した「実践の科学化」を今後も継続してゆくことにより、本書において示した理論の妥当性と、ソーシャルワークという実践の独自固有性を担保する論理の構築が求められるのであり、今後いっそうの「実践との緊密な緊張関係」のなかで、その独自固有性を担保する「価値と原理の理論」の弁証法を進めてゆくことが、筆者の課題であると考えている。