1895年から1945年までの51年間に日本は台湾、南樺太(サハリン南部)、関東州、南満州鉄道附属地(中国東北部)、朝鮮、南洋群島へと支配地を拡大し、さらに満州国を立国支配した。占領や支配の形態、方法は各地域によって異なるものの、すべての地域で共通して行われた施策の一つに社会事業政策がある。
本研究の問題意識は、1918年以降の日本の社会事業の「近代化」に対して、同じ帝国日本の一部である植民地において社会事業の「近代化」はあったのか、あったとすればそれはどのような「近代化」であったのか、という問いにあった。この問いの答えを求めて、台湾および朝鮮を対象に、植民地社会事業政策の分析に「近代化」の4つの指標をあてはめ、指標にそって検証をすすめた。社会事業近代化の指標としては、[1]救貧策から防貧策への転換、[2]専門行政機関の設置および社会事業財政の確立、[3]社会事業の組織化・計画化、[4]社会事業教育の開始をあげた。
社会科学的研究の結論には自然科学のような正解はないが、一定の方向性と方法による研究によって一定の結論は得られる。そこで社会科学的研究では、なぜこうした結論になるのかという、結論に至るプロセスを議論することが重要であり、また実際の社会事象にもとづいた理論的な検討を行うことが必要となる。本研究の事象的帰結は、台湾、朝鮮における植民地社会事業は「近代化」の特質を示したが、その内容は日本に比べて「抑制された近代化」であったという結論である。その内容は次のようである。
1.帝国日本の支配のもと台湾、朝鮮の社会事業形成の到達点が日本に比較して相対的に低い水準にとどまったこと。
2.台湾と朝鮮では社会事業形成の内容に共通性とともに大きな較差があり、台湾に比して朝鮮のそれがより低い水準にとどまったこと。
本研究のすすめ方は、各部、各章ごとに下位のサブ仮説(課題)を設定し、これらサブ仮説(課題)の検証を通して日本統治下植民地社会事業の「抑制された近代化」を検証するという手続きを踏んだ。その結果、事象的帰結に対する理論的帰結を、[1]植民地社会事業政策の政治的メカニズムに関する理論的検討、および[2]本研究の理論的枠組みとしてきた植民地社会事業の「近代化」と「福祉文化的基盤」の理論的検討の2点について行った。[1]植民地社会事業政策の政治的メカニズムに関する理論的検討では、3期の時期区分ごとに植民地社会事業政策の政治的意味づけが異なるところから、以下のような結論を得た。
第1期植民地社会事業創設期
――破壊と修復
第2期植民地社会事業拡大期
――解体と社会統合
第3期植民地社会事業終焉期
――戦争と福祉
これらの対になっている用語の組み合わせは、左側の破壊、解体、戦争が植民地における各時期の政治的社会的状況をあらわし、右側の修復、社会統合、福祉がこれに対応する植民地社会事業政策の政治的作用を表現したものである。これらの政治的作用は相互に対抗する力でありながら、また密接な内的関連性を有している。そしてこれら第1期、第2期、第3期を貫く植民地社会事業政策に作用する政治的な論理的帰結、すなわち「抑制された近代化」という事象的帰結に対応する理論的帰結が「解体と社会統合」である。
[2]の植民地社会事業の「近代化」と福祉文化的基盤をめぐる理論的考察では、植民地社会事業政策の理論的帰結が「解体」に対する「社会統合」であるのに対して、植民地支配を通じて行われた一方的な「近代化」政策とこれに拮抗する被植民地社会の政治的な力が「福祉文化的基盤」である。
本研究を通して得られた知見の一つに、台湾、朝鮮、さらには日本にそれぞれ相異なる福祉文化的基盤とカテゴライズできる要素が確かにあって、この各地域の福祉文化的基盤のあり方が植民地支配という強権的な体制のもとにおいても、社会事業政策や社会事業形成に作用していることが随所にみいだされるのである。当該社会が形成してきた福祉文化的基盤は、支配者による一方的な「近代化」の政治的力に対抗して、植民地住民がこれをコントロールし、受容を拒否したり、選択的に受容したり、改変して受容したりするフィルター装置としての政治性をもつ。被植民地住民の植民地支配に対する対抗と懐柔の政治的力が、この福祉文化的基盤のなかにみいだせる。「社会事業」の実践上の有効性は当該社会の社会的共同性、なかでもその福祉文化的基盤と切り離した施策では実体化できず、このことは非植民地におけるよりも植民地体制下においてより明確にあらわれる。植民地体制下の新たな福祉システムの形成にあたっては、福祉文化的基盤の実績が一つの政治的な力として、作用することが認められる。
以上、本研究の当初の目的は、1997年以降中国都市部における新社会保障・社会福祉システムの成立によって、北東アジア諸国、地域が社会保障・社会福祉システムの確立期にはいったと考えたところにある。北東アジアの国々や地域が共有する社会福祉の課題を明らかにし、問題解決に協力しうる学問的基盤を用意することが今日求められており、北東アジアにおける近代社会福祉史の研究は、こうした基盤研究の一つとなると考えた。
この当初の研究目的に対して、本研究が提示した内容には多くの課題が残ったが、今後こうした諸課題をふまえた研究の推進にとり組みたいと考えている。
この度、身に余る賞をいただき、損保ジャパン関係者の皆様、審査に携わられた諸先生方、またこれまで私を導き、励まし続けて下さった多くの皆様方に心より御礼を申し上げます。